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1923年~1939年

1939

6月5日、モスクワに民間航空アカデミーが開校。またツィオルコフスキー記念モスクワ民間航空技術大学が設立されました。

1938

9月25日、ロシアのパイロット B.S.グリゾドゥボフ、P.D.オシペンコと、航空士M.M.ラスコフが、航空機「ローディナ」によるモスクワ~極東間の飛行に成功しました。

1937

6月20日、ロシアのパイロット B.P.チカロフ、G.F.バイドゥコフ、A.B.ベリャコフが、航空機АNТ-25によるモスクワ~アメリカ間(北極経由)の飛行に始めて成功。7月、同ルートの飛行をM.M.グロモフとA.B.ユマシェフ、S.A.ダニリンらが成功させました。

7月19日、民間航空局に国際航空局が設立されました。

1936

2月1日、ソ連が国際航空連合に加入。

2月、パイロットN.P.シェバノフが民間航空機で100万キロメートルの無事故飛行を達成しました。

1935

2月7日、民間航空規約を制定し、「アエロフロート優秀勤労者」のバッジを導入。

8月7日、ソ連中央執行委員会と人民委員会議により新しいソ連航空法が承認されました。

1934

2月、ソ連民間航空局の乗組員が、チェリュースキン号乗組員の救助に貢献しました。

4月20日、チェリュースキン号乗組員救助の功績に対し、A.B.リャピデフスキー、S.A.レバネフスキー、B.S.モロコフ、N.P.カマニン、M.T.スレプネフ、M.V.ヴォドピャノフ、I.V.ドローニンらに初めて「ソ連邦英雄」の称号を与えられました。

5月19日、民間航空局の機関再編に関する決議が採択され、12地域における民間航空局の設立が決定されました。

1933

3月17日、国家代表団の輸送及び民間航空の普及を目的とする、民間航空局付属マクシム・ゴーリキー記念特別飛行大隊が設立されました。

4月28日、政府は「民間航空の日」を設定しました。この記念日は1933年8月18日以来、毎年祝われています。

8月、キエフに民間航空技術大学が開校しました。

1932

2月25日、ソビエト労働・防衛会議付属の民間航空機関が、ソ連人民委員会付属民間航空局に再編されました。

3月26日、ソ連民間航空に対し略称「アエロフロート」が付与されました。

4月1日、民間航空局職員のために制服と記章が導入されました。

4月27日、ソ連中央執行委員会幹部会が初めてソ連航空法を承認しました。

7月26日、「ソ連民間航空服務規程」が採択されました。

11月21日、農作業用航空局が、民間航空局に編入されました。

1931

2月19日、第一回全ソビエト航空局職員会議が開催されました。

5月15日、モスクワにおいて民間航空の高等アカデミックコースが開校しました。

5月、雑誌「民間航空」が刊行されました。

8月14日、36名の乗客を乗せた航空機ANT-14「プラヴダ」が初飛行に成功しました。

10月11日、初めてのステンレス製の航空機「スターリ-2」による実験飛行が成功しました。

11月6日、モスクワのM.B.フルンゼ記念中央飛行場にロシア初のエアターミナルが完成しました。

1930

1930年2月23日、ソ連中央執行委員会と人民委員会議の政令により、民間航空評議会が廃止されました。

6月、初めての航空教育施設であるレニングラード民間航空技術大学が設立されました。

10月、民間航空研究所が設立されました。

10月29日、「ドブラリョート」が労働・防衛評議会付属の全ソ連民間航空公社に再編されました。

1929

5月、A.N.ツポレフ設計による旅客機ANT-9の初めての飛行実験が成功しました。

6月10日、ソ連中央執行委員会の法令により、ソ連民間航空旗が導入されました。

11月2日、S.A.シェスタコフのフライトチームが、航空機ANT-4「ソビエト」によるモスクワ-ニューヨーク間の飛行に成功しました。

10月10日、ソ連民間航空監督局が設立されました。

1928

10月、ベルリンで開催された国際航空博覧会で、ロシアの航空機ANT-3、U-2、K-4が初めて公開されました。

1927

9月1日、パイロットS.A.シェスタコフと航空機関士D.B.フファエフは、航空機ANT-3でモスクワ-東京-モスクワ間のフライトを成功させました。

1926

6月、パイロットM.H.メジェラウプとY.N.モイセーエフが、モスクワ-アンカラ間と、モスクワ-テヘラン-モスクワ間のフライトを成功させました。

9月2日、M.M.グロモフが航空機ANT-3で、モスクワ-ベルリン-パリ-ローマ-ウィーン-プラハ-ワルシャワ-モスクワ間の飛行に成功しました。

1925

4月20日、K.A.カリーニンの設計による3人乗り航空機K-1の実験飛行が成功しました。

6月13日、航空機AK‐1、R‐1、R-2により、モスクワ-ウランバートル-北京間の飛行に成功しました。パイロットは、М.А.ボルコボイノフ、М.М.グロモフ、А.I.エカトフ、N.I.ナイデノフ、I.K.パリャコフ、A.I.トマシェフシキーでした。М.А.ボルコボイノフとМ.М.グロモフの操縦による2機の航空機R‐1はその後、東京までのフライトを続けました。

9月27日、パイロットB.G.チュフノフスキーとO.Aカリヴィツァらが、レニングラードから、ペトロザボーツク及びアルハンゲリスクでの途中降機を経て、ノーヴァヤゼムリャーへ向かう飛行を成功させました。

1924

1月11日、労働・防衛評議会は「航空機による宣伝活動について」の政令を承認しました。

5月25日、ハリコフ-ポルタバ-キエフと、ハリコフ-オデッサ-ハリコフ航路が開かれました。

5月26日、A.N.ツポレフの設計により、初の鋼鉄製航空機ANТ-2の飛行実験が開始されました。

1923

2月9日は、ソ連の民間航空が公式に誕生した日とされています。労働・防衛評議会は「航空局への航空路線の管理委任」と「民間航空局設立」に関する政令を採択しました。

3月1日、全ソ連「航空週間」が始まり、航空機製造のための任意の寄付活動が行われました。

3月17日、ロシア民間航空協会「ドブロリョート」が設立されました。

6月、B.N.ヒオニの設計による、二人乗り訓練用飛行機「コニェク・ゴルブノク」の飛行実験が行われました。

6月15日、ソ連発の定期便就航路線であるモスクワ-ニージニーノブゴロド線が開設されました。総飛行距離は420kmでした。

10月19日、労働・防衛評議会は、1924年から1926年における、国内航空路線発展についての計画を承認しました。

10月28日、労働・防衛評議会は「空港および滑走路建設のための辞書割り当てに関する政令」を承認しました。

12月、初めての国産旅客機AK-1の飛行実験が成功しました。同機は後に、モスクワ-カザン-モスクワ間の航空路線に就航しました。